Once More Please ギター弾きの独り言Part4

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ギター弾きの独り言Part4

Part3から続く。

エリック、クラプトンを聞きながらこの人は何を聞いてあんな
ギターが弾ける様になったんだろうと考え、色々と調べてると、
ブルースと言うキーワードが出てきた。

ブルースと言う音楽はアメリカの黒人の音楽であり、今のロッ
クの原点になった音楽である。(詳細に関しては省略)
ここから俺のブルースギターのルーツ探索が始まる事になる。
BBキングを初め様々なブルースギターを聞いていた高校1年
の頃である。

その頃の友人がある日1枚のシングル盤のレコードをくれた。
早速家で聴いてみた。ターンテーブルに針を落とすと衝撃的な
ギターのイントロ、ほんまにブッ飛んでしまった。

jimihen-002

jimihen-001

その人の名前はジミ・ヘンドリックス。
一発で虜になってしまった。曲名はA面はあのチャック・ベリ
ーのジョニーBグッド。B面はクラプトンもカバーしたリトル
ウィングだ。それもライブだ。
今まで聴いた中でほんまに一番の衝撃的な出来事であった。

Part5に続く。

※続きを見るに・・・Jimi Hendrixの記事あります。
おまけ

Jimi Hendrix - Little Wing
Hollywood Bowl. 1968年9月14日



Jimi Hendrix

ジミ・ヘンドリックス、1942年11月27日ワシントン州シアトルに生まれ。
ジョニー・アラン・ヘンドリックスと命名されますが、後にジェームズ・マ
ーシャル・ヘンドリックスと改名されます。彼は、B.B・キング、バリー・
ホリー、ロバート・ジョンソンのギター・音楽に興味を持つようになり、ほ
うきを持ってはギターのまねをしていました。彼の父は58年(16才)時に
5ドルで、中古のアコースティック・ギターを彼に買ってあげます。

また翌年には最初のエレキ・ギターを彼に買えあたえます。そして、これこ
そが彼の爆発するギター・サウンドの始まりでした。61年(19才)の時に
軍隊に志願して62年に落下傘部隊としてケンターッキーに配属されます。
その後パラーシュートでの落下の怪我で除隊することになりますが、軍隊生
活で知り合ったベーシストのビリー・コックスとの影響もあり、音楽への道
を志します。

除隊後ジミー・ジェームズの下でセッション・ギタリストとして働き始めま
す。アイクとティナ・ターナーやサム・クック、アイズレー・ブラザーズ、
リトル・リチャード人たちのバック・ギターリストとして勤めますが、その
後フリーになり1965年の後半から1966年初期までヘンドリックスは、グ
リニッジ・ヴィレッジの小さな規模の演奏活動をしていました。

その時に、彼のパフォーマンスの凄さに感動したアニマルズのベーシスト、
シャス・チャンドラーに見出され、ロンドンに渡り、ヘンドリックスをフュ
ーチャーしたバンド、 ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを 結成し、
名前もジミ・ヘンドリックスに改名をします。

最初のシングル 「ヘイ・ジョー」を発表します。イギリス・ヒットチャート
6位を記録、英国での成功を収め、 1967年6月にアメリカへ戻って来た彼
の最初のステージ、モンテレー国際ポップ・フェスティバルでの演奏は文字
どおり聴衆をエキサイトさせます。1969年にバンド・オブ・ジプシーズを
結成し、ウッド・ストックでのパフォーマンスは伝説のギター・ヒーローと
して世界にその名をとどろかせます。

ところが、1970年9月18日睡眠薬中毒の事故で亡くなってしまいます。
享年27才でした。


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コメント

No title

私の弟がとてもギター弾きさんと似ていて・・といってもそれほど弾けるわけじゃないんですけども・・私が桜田淳子や百恵ちゃんにハマッテる時にクリームやらジミヘンやらディープパープルやらをわんさか買ってきて聞いておりました。何がそんなにいいのか全然私にはわかりませんでしたが、わかる人にはやはりすごい人たちなんでしょうね。レコード盤はしまいこんでいますが、プレーヤーが手に入るのなら一度聞いてみたいなあ  タカ
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